2011年02月18日

加藤紘一先生の朝食会

 昨日、久しぶりに加藤紘一先生の朝食会に出席してきました。
 会場はいつものホテルニューオータニ。いつものことですが、先生のお話をうかがう前にいただく「お重」に入った朝食の味は秀逸です。もともとの素材と料理の質もさることながら、「きょうはどんな話をなさるんだろう?」という期待感が、目の前の料理に最後の「スパイス」をふりかけているからでしょうね。

 昨日の先生のお話の中心は、日本のあるべきナショナリズムのお話を中心に、中国とどのようにつきあっていくべきかに多くの時間が割かれていました。
 先生が掲げたナショナリズムとは大きく分けて3つ。

 @ 戦うナショナリズム
 A 競争するナショナリズム
 B 誇りをもつナショナリズム

 この順番はプリミティブさの順番でもあります。
 「戦うナショナリズム」が一番わかりやすいし、「国民ウケ」を得られやすい。国内での不満を国外にそらすための常套手段としてよくとられますよね。この話のなかで先生があげられたおもしろいたとえが、「権威を失ったオトーサンが権威を取り戻す方法」です。家庭での権威が失墜したオトーサンがとるべき最後の手段は、隣家と争いをすることだそうです。境界争いでもピアノの騒音の苦情申し立てでもなんでもいい。とにかく、隣とケンカして、その最前線にたつこと。そうすることで、家族がまとまり、オトーサンの権威も復活する。一挙両得の政策。ところが、この方法の唯一の弱点は、隣との争いをどうやって収めるかということです。そして、往々にして、その解決策はありません。最後には、どちらかが引っ越すまで争いが続くことになります。
 国家間でそれをやってしまうと大変です。国ごと引っ越す訳にはいきませんから、どちらか、あるいは、双方の血を流すか、領土を失うかというギリギリのところにいきつくまで、争いは終わらないということになります。そして、その争いは時として数十年以上におよびこともしばしば。
 「こんな危険なナショナリズムを政治が利用してはいかん!」と言外に先生が強調されておられたように感じました。
 そういった意味で、尖閣諸島をめぐる政府の対応はいささか稚拙だったのではないかと説明しておられました。領有権争いを前面に押し立てれば、非常に危険なチキンゲームに陥ってしまう危険がある。ましてや、中国は「メンツ」を大事にする国。「メンツ」のためなら、「人民」の命の代償というカードを躊躇なく使ってくる可能性がある国です。そのいい例が、「珍宝島事件」。全面核戦争というソ連側の脅しに、毛沢東が「核戦争で8億の人民が死んでしまっても、こちらにはあと数億人もの人民がいる。この人民全員がゲリラとなって最後の最後まで戦う」と応じたとのこと。本気度が全く違います。
 したがって、これからの中国とのつきあい方の要諦は、「決して相手に弱みを見せて及び腰にならないこと」と同時に、「戦うナショナリズムに訴えて尖鋭的にならないこと」だそうです。確かに! 尖鋭的になって拳を振り上げても、それを収めるタイミングが非常に難しいからです。やはり、ここは「アジア的に」、場の空気を読んで、お互いの肚をさぐりあって、最適解を模索するやり方をとるしかないのでしょう、と先生は解説されました。

 2番目の競争のナショナリズムは、サッカーの試合で熱狂するとかといった、極めて平和的な「競争」におけるナショナリズムだそうです。最近のアジアカップでの盛り上がりは、健全な意味で国民全体がまとまったいい例ですよね。

 最後の誇りのナショナリズムとは、独自の文化に誇りをもつという崇高なナショナリズムです。自国以外の文化にも敬意を表すると同時に、自国の文化も大事にするという心です。個人的な解釈ですが、「岡倉天心」の心に通じるものがあるのでしょうね。

 また、先生が最近注目されておられる政治学者をお二方挙げられました。姜尚中 東大教授と中島岳志 北大准教授だそうです。姜尚中先生はよく聞きますが、中島先生は初めてうかがうお名前だったので、少しご著書を読んでみたいと思います。
posted by みつやま まさひろ at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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